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前に書いた天増川の情報

  前に書いた天増川の情報 野村 2001/10/30 13:22:53 
  続き 野村 2001/10/30 13:23:32 
   └ちょっくら行ってきます。 なわお 2001/11/01 21:33:55 

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前に書いた天増川の情報 返事を書く
野村 2001/10/30 13:22:53
これは6月末頃に書いた天増川の情報ですが、最近このサイトに
来られた方も多いので、採録します。
本体は「過去の掲示板ログ」にあります。ご覧下さい。

Re: 私も天増川に砂金を探しに・・ 天増川と熊川の詳細
>私も天増川に砂金を探しに行ったことがあります。5年くらい前の話ですが。
>あちこち探しましたが、何にも見つかりませんでした。
> 今となってはいまいち場所の記憶も曖昧です。

 「放浪の砂金掘り?」さんは、本当にあちこち行っておられますねえ。
滋賀県の天増川(あますがわ)は、今のところ、どこの文献にも出ていない
ようですが、鉱物愛好家の間では割と有名ですね。
鉱物販売店の「クリスタルワールド」では、ここの地図を付けた「砂金発掘
セット」というものを売っているようですが、どんな地図なのか、私は買っ
ていないので分かりません。
 これを読んでおられる方のために、私の知る情報をすべて出します。
私が天増川について最初に聞いたのは7年前、京都の高田雅介さんと高田徹さん
からです。私が砂金をやり始めた年のことです。北海道で高田さんに研修でお会
いした時、私のパンニング皿や金属探知機を見て、高田さんは滋賀県の天増川の
話をしてくれました。
 高田さんは天増川の話を益富大先生から聞かれたそうです。
昭和20年か21年のこと。京都の益富先生の所を訪れたのは、地質調査書の
職員でした?食糧のない時代のこと、益富先生がただで寝泊まりさせてやると、
地調の人たちは、足袋のコハゼほどの砂金を見せたそうです。これは天増川で
採ってきたと言って。
 高田さんもこの話を聞いて、京都から1年に12回も通ったそうです。最大
で3mmの砂金を採ったと言われました。
 私はこの話を1994年の夏に聞き、(この時、他にも京都の加茂川と金沢
の犀川の砂金も教えて貰いました)その秋に出かけました。まだ砂金の取り方
がよく判っていなかったので、「草根引き」と「スルースボックス」でやりま
したが1日やっても数粒しか採れませんでした。
地元のおじいさん(80歳くらい)に訪ねると、「もう50年にもなるか。確
かに東京の方から金を調べに来て、その結果、山の方を掘っていったよ。でも
採算が採れないとかで終わってしまった。」「わしらが子どもの頃は、その辺
の川底に砂金が見えとったよ。」という話を聞きました。まだ金を掘った跡が
残っているはずと言う小さな谷(天増川集落の手前の東側)を登ってみました
が、簡易水道の取水口があるので、パンニングで濁らせるわけにいかず、砂金
は確認できませんでした。また山金を掘った跡もサッパリ分かりませんでした。

  続き 野村 2001/10/30 13:23:32  ツリーへ

Re: 前に書いた天増川の情報 返事を書く
野村 2001/10/30 13:23:32
続き
私も神戸から通った回数は1年で12回を遙かに超えていました。(それも電
車とバスでです。)
1997年にドレッジ(Dredge)を輸入したので、天増川に持っていきました。
基盤岩に1mほどの落差が生じている場所の下流側で、川の中の堆積物を吸い
上げて見ると、4mmの砂金が出てきました。これが私が天増川で得た最大の
ものです。天増川口の一つ西のバス停に釣り道具屋さんがあり、そこの人に砂
金の話をしました。この人は若いときに世界を放浪していて、カナダで砂金を
掘り続けている家族のところに泊まったことがあるそうです。もともと地元の
人ではなかったので、昔のことは知りませんでしたが、興味を持たれ、次回に
訪ねたところ、面白い情報を仕入れてくれてました。第2次世界大戦中、更に
下流側の製紙工場付近で、砂金がかなり採れた。当時の金で何十万円かになっ
た、というのです。下流側とは「上中(かみなか)」の熊川という宿場町です。
去年2000年夏、生徒を連れて、若狭の一泊二日小巡検をしました。三方で
菫青石を採り、若狭本郷宮留で橄欖石の砂を採り、二日目に天増川で砂金を採
ることにしました。ただ砂金を採集するだけではなく、上中町で情報を調査す
ることにしました。町役場では江戸時代からここで砂金が採られていたこと。
昭和に大規模に採掘したこと。(これが製紙工場の裏に当たる。)等が分かり
ました。さらに熊川宿で郷土史家のおじいさんから詳しく聞きました。
昭和17年には株式会社を作り、トロッコで土砂を移動して砂金を掘ったこと。
奥さんがその仕事に参加したこと。たしか昭和17年の朝日新聞大阪版に記事
が出たことなどを聞きました。この日は、昔に掘ったという場所で我々も採集
を試みましたが、基盤岩が出ているのは岸の垂直の部分だけで、盤たたきをや
ってもサッパリ出ませんでした。結局、熊川での採集をあきらめ、おじいさん
に別れを告げて、天増川の方に行きました。ここでは「盤たたき」初挑戦をし
ました。今まで草根引きや堆積層ばかり攻めていたのですが、今回初めて「盤
たたき」という新しいやり方で挑戦です。結果は、見事に出ました!
3時間居ただけでしたが、生徒、皆10粒以上。一人は3mmを出しました!
かつて重たいドレッジを持って来た努力は何だったのか?
その後、10月にも行きましたが、河岸工事が始まっていました! ショック
でした。また朝日新聞昭和17年版は、図書館のマイクロフィルムで調べてい
ますが、1〜6月まで調べた中には、熊川の砂金は出ていませんでした。あと
6ヶ月ぶんは未調査です。<br> 以上が私の知る天増川の情報の全てです。
最近は兵庫県の砂金調査が忙しくて、天増川も熊川もとんとご無沙汰ですが、
以前は「スルースボックス」や「ロッカー」を自作したり、金属探知機を輸入
したりすると、真っ先に天増川へ行って挑戦してみました。私にとって天増川
は「私の砂金趣味を育ててくれた川」だと言えます。

   └ちょっくら行ってきます。 なわお 2001/11/01 21:33:55  ツリーへ

Re: 続き 返事を書く
なわお 2001/11/01 21:33:55
ちょっくら行ってきます。
昨日の帰りしに長靴を片方落としてしまいまして、明日休みなんで長靴探しがてら下流川の熊川宿付近の探索行ってきます。
採れなきゃいっぺん天増川の上流の様子を見てきます。

ところで、どなたかこの間の日曜日スコップ置いて帰ってません?
とりあえず保護してますんで名乗りだしお願いします。


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