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ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄

  ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄 あかね 2001/12/11 23:56:28 
  あかねさん、こんにちは。情報ありがとうご... 広瀬 2001/12/12 17:28:49 
  │└初めまして。長者様のお屋敷HPで、私の書き... あかね 2001/12/13 16:21:49 
  「あかね」さん、どうもありがとうございま... 野村 2001/12/12 17:47:34 
   └長者様のお屋敷で問合せして下さり、光栄な... あかね 2001/12/13 17:10:44 
    └闇の歴史って面白いですね。 野村 2001/12/14 12:37:23 
     ├同感です。少なくとも4c,古墳時代後期には、... あかね 2001/12/17 18:47:30 
     └すみません。あまりに長いので、二つに分け... あかね 2001/12/17 19:05:52 

  ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄 あかね 2001/12/11 23:56:28  ツリーへ

ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄 返事を書く
あかね 2001/12/11 23:56:28
初めまして。長者様のお屋敷BBSから、やってきました。
野村さんのご質問がそこにあって、びっくり。
早々に参りましたので、まだこちらのHPを拝見しておらず、
ごめんなさい。後で、ゆっくり拝見しますね。
私は、特に産鉄民、鉱物加工採掘民などに絡む話が好きな、
素人の歴史好きです。

さて、“「ネコ」は『寝粉』であり、『河床に沈む(寝ている)砂金・
砂鉄』のことだ”とする説は、沢史生氏の著作「閉ざされた神々」
(彩流社)か、『闇の日本史』に確か書いてあったと思います。
どちらか忘れましたが、可能性としては、闇の日本史の方が高い
かも…。沢史生氏や、その著作については、ヤフーなどで検索して
いただくとすぐ出ます。氏の他の著作も面白いですよ!
この説は、もっと他の学者さんも書かれているかもしれませんが、
今は思い出せないです。

尚、5世紀後半、奈良の三輪山で山麓祭祀を行った『大田田根子』
(おおたたねこ=意富多多泥古、三輪君・鴨君の祖)という命の名に
付く根子には、沢氏の説の他に、子は砂で砂鉄(田は鉱山、種は鉱物)
という説もあります(この説はおそらく、「海人族と鉱物」小田治著
・新人物往来社だったと思う)。
他にも、『ネコは尊称だ』とする説(村山悠氏、出典忘れました)など
もあります。美しい田の立派な男となるわけです。

寝粉には、どうしても古代史・産鉄族が絡みますので、
いきなりこんな話をして失礼しました。
尚、長者様掲示板に書いた、寝太郎伝説の意味合いにつきましては、
多分に私の解釈が入っております。かなり正解に近いのではないかな
と思っておりますが、ホントの所は解りません。

  あかねさん、こんにちは。情報ありがとうご... 広瀬 2001/12/12 17:28:49  ツリーへ

Re: ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄 返事を書く
広瀬 2001/12/12 17:28:49
あかねさん、こんにちは。情報ありがとうございます。

「沢史生」+「砂金」等をキーワードに検索して見ましたが該当無しでした。
やはり横着はいかんのか、、、たまには図書館でも行かないとなあ。

  │└初めまして。長者様のお屋敷HPで、私の書き... あかね 2001/12/13 16:21:49  ツリーへ

Re: あかねさん、こんにちは。情報ありがとうご... 返事を書く
あかね 2001/12/13 16:21:49
初めまして。長者様のお屋敷HPで、私の書き込みを見つけて下さって何だか嬉しいです。
「ねこがき」「ねこ板」とかの意味も繋がって、面白いですね!

さて、MSNサーチで試してみましたら、YAHOO!フ゛ックス・ショッヒ゜ンク゛で、「沢史生」氏の著作本一覧がヒットしました(左上の商品検索に、同氏のお名前を入れると、一覧が出ます)。
http://search.shopping.yahoo.co.jp/books_search?r=books%02humanity_society_and_nonfiction%02religion%02171804&p=%C2%F4%BB%CB%C0%B8&f=0&y=y
です。長いナァ…
尚、『闇の日本史 河童鎮魂』というタイトルです(彩流社/2,500円)。
今後共、色々、教えて下さいね!

  「あかね」さん、どうもありがとうございま... 野村 2001/12/12 17:47:34  ツリーへ

Re: ネコは寝粉=河床の砂金・砂鉄 返事を書く
野村 2001/12/12 17:47:34
「あかね」さん、どうもありがとうございました。
さっそく、勉強させてもらいます。
「砂金」という趣味は、現在、川で砂金を掘るだけでなく、
採集技術の歴史的な解明なども範疇に入ります。ですが私などは
どうも歴史は疎くて苦労します。
 個人的には、以前、(砂金にはまるずっと前)、埋蔵金探しを
やっていたことがありました。その頃、戦国時代の歴史はかなり
読んだりしました。でも主力は金属探知機の自作や輸入でした。
結局、長者にはなり損ねました。(笑)
今も私の主力は砂金採集の「道具」なんですが、歴史方面も頑張って
勉強してみます。(苦手を克服せにゃ!)
このページは、北海道砂金史研究会の方や湯之奥金山博物館の方も
来ておられますので、いろいろと解明できることを期待しています。
これからもご意見、どしどしお寄せください。
ありがとうございました。
 それと、砂金掘りって、「ほんっとうに!」楽しいですよ!
一度、一緒に砂金掘りに行きませんか?

   └長者様のお屋敷で問合せして下さり、光栄な... あかね 2001/12/13 17:10:44  ツリーへ

Re: 「あかね」さん、どうもありがとうございま... 返事を書く
あかね 2001/12/13 17:10:44
長者様のお屋敷で問合せして下さり、光栄な気がしています(笑)。
こちらの皆様は、金属学等の専門家の方が多くいらっしゃるのですよね。鉱物採掘加工民、いわゆる鬼や闇の歴史と云われる分野が特に好きなのですが、色々な本を読んでおりましても、つまる所、鉱物や金属の専門知識がないために、よく行き詰まります。こちらこそ色々、教えて下されば、かなり嬉しいです。
採集技術の歴史的な解明についてですが、砂金採集道具も案外、神や氏族の名、常民史や、神人・流浪の民等の歴史、採掘と加工の技術を持つ民と鉱山を手中にするための勢力争い等と、絡んでいるように思いますので、解明していっていただけると、とても有難いです。私は実際の専門技術はちんぷんかんぷんですので。鍛冶・大工の道具史などについては、それなりには勉強してるのですが、先は遠いです。専門家の方々の中で、こんな事を書いて気恥ずかしいなぁ…。
ですが、野村様、皆様、今後共よろしくお願いします。是非、ご教授下さいませね!
砂金掘りって、実験考古学の一つのように感じます。奥が深くて、楽しいなんて、なかなか、いいですね!埋蔵金に絡む本は、私も結構、読みました。面白いです!自作や輸入だなんて凄い。長者にはならなくても、大きな楽しみがあるなんて素適です。
砂金掘り、私、はまってしまいそうな気が…。機会があればご一緒したいですが、冬はちょっと。寒いの苦手なんです。六甲や、加古川にも砂金が出るなんて驚き!なるほどなぁ。故郷は加古川支流の一つにあるんですが、加古川のどの辺りに出るのか、楽しみです。

    └闇の歴史って面白いですね。 野村 2001/12/14 12:37:23  ツリーへ

Re: 長者様のお屋敷で問合せして下さり、光栄な... 返事を書く
野村 2001/12/14 12:37:23
闇の歴史って面白いですね。
砂金をはじめ鉱物資源の採集技術は、一部の専門職集団の中にだけ
伝わっていて、その人たちは公開するような記録に残していないし、
一般民衆はおぼろげながらしか知らないので記録には殆ど登場しない。そう言った性格のものですよね。
加古川流域でけっこうな量の砂金が採れる(と言っても、趣味の採集と
しては、ですが)場所を発見しまして。そこで採集している時、いつも
考えてしまうのですが、「本当に我々がここの砂金の最初の発見者なのだろうか?」と。
毎日せっせと採集に励めば、数年くらいで(?)金環くらいできそうに
思えます。加古川周辺の古墳からは金製品が出てます。(行者塚古墳とか)
あの金はどこの産でしょう? 加古川市立博物館の研究員の人に訊いて
みたことがありますが、古墳時代の金は全て朝鮮半島から持ってきた金だと
いうのが定説だそうです。でも金製品だけでなく、加工技術や採集技術
を持った人もやって来ていたのでは? その人たちが加古川の金に
気づかないかなあ?
 砂金のとれる場所は、松茸と同じで(笑)、一子相伝の秘密のようです。
少人数の集団であっても、戦にあえばそこで途切れる可能性は大いにあると
思います。そんな「以前の発見者」が居たのではないかと思えてなりません。
定説を覆すには、金に含まれる微量成分(不純物)から産地を特定する
ことが必要です。和歌山のカレー事件の砒素を、微量不純物パターンから
同定した様に、大型放射光施設 Spring-8 くらい使わないといけないかも
知れませんが。

>故郷は加古川支流の一つにあるんですが、加古川のどの辺りに出るのか、楽しみです。
実は加古川の支流の殆どで、少量ながら砂金を確認しています。
出なかったのは和紙の産地で有名な杉原川だけ。それも基盤岩が露出して
いなかったので採集できなかったと言うことで、「無い」ということではありません。

>寒いの苦手なんです。
 春になって、お花見の季節に行きませんか?
(私たちは調査ですから、木枯らしの中、鼻水でグチュグチュになりながらも、
砂金を掘っていますが(笑))
加古川の支流を流れてきた砂金が、最も下流で集まるところが小野市に
あります。そこは天気のいい日にはバーベキューをする家族連れで賑わう
いい場所です。土手の上には桜並木もあり、公園になっています。
春秋には絶好の砂金掘りスポットです。
真夏は日射病になります!
冬は木枯らし吹きすさぶ河原で誰もいません。私以外は(笑)。

     ├同感です。少なくとも4c,古墳時代後期には、... あかね 2001/12/17 18:47:30  ツリーへ

Re: 闇の歴史って面白いですね。 返事を書く
あかね 2001/12/17 18:47:30
同感です。少なくとも4c,古墳時代後期には、製鉄等の技術者集団は、
播磨にもやって来ていたと考えています。加古川の東側、東播磨を
5〜6cから支配していた「針間鴨国造山直」は、元来は、東播磨に縄文
から先住していた民と、同系の人達だったという説がありますので。
古墳群の多くは、その先住者たちの墓らしく、中には加西の根ヒメの
ように、古墳時代後期の墳墓には、後続の山直系の墓とされる古墳も
あるようですよ。つまり、先住の民の持っていた採取加工技術へ、
山直氏系が新たに持ち込んだ技術が加わったようなんです。無論、
土木技術等も。東播磨の族長・山直は、山の材とともに、石棺石である
竜山石や、各種鉱物資源も押さえて、ヤマトへ供出したそうです。
普通に考えるとそんな技術を持っていた人々が、加古川の金に気付か
ないわけはないと思います。加古川やその支流沿いには、海の民である
水夫たちもたくさんおり、彼らは鉱物採取技術も持っていたそうです。
金も、その採れた量はともかく、地元の分くらいは賄えたのかも。
ホントのところは、分析しないと解らないのでしょうね。

また、葦や蒲など、禾本植物の根本に成る、褐鉄鉱(錫)を採取して、
縄文期に製鉄が行われていたという説については、実験考古学の先生方
の研究成果を待たなければならないのでしょうが、素人の私からすれば
製鉄が行われていたらいいなぁ、と思います。
最近、奈良の弥生時代の環濠集落「唐古・鍵遺跡」から、翡翠製の勾玉
2個が入った褐鉄鉱の「ウ余リョウ」という卵形仙薬が出土し、弥生人
が、既に成熟した神仙思想と、鳴石という褐鉄鉱の存在を知っていた
事が明かとなりましたから、これが更にどのくらい遡れて、製鉄を
行っていたかどうかへと繋がるのか、大いに興味のあるところです。
播磨でも錫は出ていたようだから、青銅の方が古くから造られたの
かもしれませんが、解らないです。          〜つづく〜

     └すみません。あまりに長いので、二つに分け... あかね 2001/12/17 19:05:52  ツリーへ

Re: 闇の歴史って面白いですね。 返事を書く
あかね 2001/12/17 19:05:52
すみません。あまりに長いので、二つに分けましたm(__)m

5世紀には、百済の「王子恵」が、三木と神戸の間にある丹生山(辰砂
ですね!)へ、韓鍛冶たちを引き連れてやって来たという話が三木市
に残っています。そして三木金物の歴史は、渡来した「韓鍛冶」と、
東播磨北・中域にいた在地の「大和鍛冶」が技術提携し、教えてもらい
協力し合った事に始まるそうです(「三木の金物史」より)。
当然、金の採掘・採取加工技術も彼らは持っていたのでは。

行者塚という名前も面白いです。行者や修験の山伏は、鉱物採取加工
も同時に行ったので、かなり古くから、鉱物の出る土地だと知られて
いたのかもしれませんね。先の王子恵という王子は、播磨や丹波・
摂津等で、多くの寺を開基した法道仙人(通常はインド人だと伝わる)
であるとか、その父だとか、いう話もありますので。これは、時代も
何もごちゃごちゃの話で、ややこしいのですが。
役行者や、海の民の後裔である僧・行基が開基したり、関った寺も、
播磨・丹波には多いですね。同様に、鉱物採掘加工の民出身であると
される空海は、播磨にも色々、伝承があります。
加えて錬丹術、特に密教系では、完全な金属とされる金や銀を生成する
事を目的としたそうなので、金の出る出ないは、まず確かめたのでは。

加古川周辺の民は、鉱物採取加工の民や農夫、藤原、或は後代に暴れた
播磨武士等、色々な流れの人々が混合しているようです。採取加工技術
を持つ民、例えば鋳師などは、全国へ移動しており、松茸のように
(なるほど!合点がいきます)、砂金の採れる場所も、その技術も連綿
と受継がれる率はとても少ないでしょうね。鉱山としてならば、源氏
以降、各武家が押さえたようですから、その技術は、鉱山で受継がれ
ていたようです。今は殆ど廃山してるから伝わってないだろうけど。

ところで杉原川周辺は、「大和鍛冶起源地」(朝廷配下で鍛冶を担当し
た部民)とされています。天津眞浦という列島で初めて刀を鍛えたと
いう人が、杉原川と加古川が合流する辺りを本拠地としたからだそう。
辺りは、銅山だらけなんですけどね。

で、杉原川は故郷の川です。三国岳近くなら、基盤岩って花崗岩?
それとも鳥羽の杉原紙研究所や、松井庄なら、あの郡に特に多い石英
粗面岩か、石英班<中は文>岩ですか?銀銅等の鉱脈は、あとの方に
多く胚胎してるから、こっちかなぁ。私には難しいです。
金、出たらいいなぁ!好きなもので長々とごめんなさいm(__)m
読んで下さって有難うございます。

小野市ですか!面白いナァ!行ってみたいです。またご連絡しますね
木枯しの中、お風邪をめさないようにして下さいね。


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