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四国巡検報告短報(28行)

  四国巡検報告短報(28行) 野村 2001/08/23 16:19:34 
  四国巡検報告詳細(長文)その1 野村 2001/08/23 16:41:56 
  四国巡検報告(長文)その2 野村 2001/08/23 16:46:22 
  四国巡検報告(長文)その3 野村 2001/08/23 16:48:00 

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四国巡検報告短報(28行) 返事を書く
野村 2001/08/23 16:19:34
2001年7月23日(月)〜25日(水)
灘高等学校・中学校地学研究部夏期四国巡検(徳島県吉野川)
23日(月)
●徳島県美馬郡脇町曽江谷橋南東、緑色片岩の水平な基盤岩。
 採集方法:盤叩き(3時間)
 成果:最大2mm、各人10粒から最多で40粒
24日(火)
●徳島県美馬郡美馬町中鳥、巨大な中州になった緑色片岩
 (時間の都合で省略)
●徳島県三好郡三好町美濃田の淵公園、巨大なポットホール
 直径3mのポットホールをさらえる。上の方の砂にもバケツ
 1杯あたり1粒程度は砂金が入っている。しかし5時間かけ
 ても底まで到達せず。一番美味しいところは残して撤退。
●美濃田橋の北西岸、緑色片岩の基盤岩
 採集方法:盤叩き、堆積物(30分)
 成果:堆積物から2mmが出る。
●徳島県三好郡山城町相川谷、明治〜大正の砂金掘り情報の調査
 立石老人の父親が相川谷で大正9年頃に(雇われて)砂金を
 掘っていた。昭和17年まで掘っていた人は居た。ネコと
 揺り鉢を使っていた。大きさは大野より小さかった。
25日(水)
●徳島県三好郡山城町大野、大野小学校の下の河原。
 川のカーブの内側に、水平に基盤岩が露出している。
 巨石の堆積の始まる手前。鉱滓が豊富に堆積している。
 採集方法:草根引き、盤叩き、クラック攻め、メガネ掘り、
      ロッカー(クレイドル)等
 成果:最大3mm(球状)、2mm台多数
 注意点:重い鉱滓が多く残り、パンニングが困難。

  四国巡検報告詳細(長文)その1 野村 2001/08/23 16:41:56  ツリーへ

Re: 四国巡検報告短報(28行) 返事を書く
野村 2001/08/23 16:41:56
四国巡検報告詳細(長文)その1

2001年7月23日〜25日 砂金採集ポイント3カ所。全て徳島県吉野川。
7月23日(月)
朝早く出発し、青春18切符を使い新快速や各駅停車のみで四国徳島県へ
行く。徳島線穴吹駅へ14:25到着。吉野川を「ふれあい橋」で歩いて渡る。
徒歩20分でホテルマツカ到着。大きな荷物を置いて採集に出発。東へ徒
歩30分。徳島県美馬郡脇町曽江谷橋の南東に、緑色片岩の基盤が平らに
露出している。そこへ行き、盤たたきを始める。16:00から3時間以上
やった。生徒全員、何粒かは採れた。実はこの場所、5月に下見に来たと
き発見した場所である。いや正確には、確認した場所である。吉野川の
ように長い(194km)川なら絶対にどこかから砂金が流れてきている
はずである。だから下流の方で基盤岩が露出している場所さえ見つければ、
盤たたきで砂金が採集できるに違いない、こう考えた。そこで国土地理院
の2.5万分の1地形図から見つけた、最も下流の基盤岩露出は岩津橋の所
であった。が行ってみると、そこは両岸が垂直に近い崖になっていた。
しかし橋の上から西を見ると、1kmほど離れたところに、水平に基盤岩
が露出している河原が見えた。それがこの場所であった。最初にサンプリ
ングした時は、30分で20粒入っていた。ただし、割れ目によって当た
り外れの差が大きい。20粒出ることもあれば0の時もある。沈む夕日を
浴びながら最後のパンニングを終えて、帰路に就く。ビジネスホテルは最
も安い3人部屋で、一人当たり素泊まり3500円。
7月24日(火)
今日の採集ポイントは2つあった。第1は美馬郡美馬町中鳥。青石橋の西
1.5kmにあたる。ただ交通のアクセスが良くないのと、5月の下見の際に
少ししか採れなかったので、今回は止めることにする。吉野川の河原が大
変広くなっているところなので、生徒に吉野川の雄大さを実感させるには
いい場所であったが、残念である。
第2のポイント、三好郡三好町にある美濃田の淵に行く。ここは自然公園
になっていて、盤たたきはできない。下見の時に見つけたポットホールを
さらえるのである。JR辻駅からはタクシーが使えた。1200円程度。
キャンプ場の東はし駐車場に行く。8時半到着。ポットホールの最大は
直径8m、大きすぎて手の着けようがない。手頃なのは直径3m、上端か
らの深さ3m(推定)、水深1m(推定)をさらえることに決めた。最初
はバケツで水を汲み出しながら、大きな石を取り出して捨てる。やがて土
砂になってきたので、バケツに採ってパンニングにかけてみる。バケツ1
杯から1粒程度の砂金が出ることを確認した。そうこうするうちに高知か
らkitaさんが到着。もと北海道の砂金掘り師だ。さて、これからポットホ
ールをどう攻めるか、生徒に意見を訊いてみた。第1案は、上の方の砂を
捨てて底まで達したら、底付近の砂だけをパンニングする。第2案は全て
の砂をパンニングする。生徒に意見を挙手させると、生徒達は皆、全部の
砂をパンニングしたいという! 私だったら迷わず、上の砂を捨てる。
kitaさんも「私だったら上の砂は捨てる。」と言う。しかし生徒達は欲に
目が眩んで、全部の砂をパンニングしたいと言う。挫折を味わわせるのも
教育だろうと考え、生徒の希望通りにさせる。炎天下、かなりきつい仕事
になったが、必死でポットホールを空ける。生徒はパンニングが遅い。特
に、最後の砂鉄から砂金を選り分けるのに、大変な時間がかかっている。

  四国巡検報告(長文)その2 野村 2001/08/23 16:46:22  ツリーへ

Re: 四国巡検報告短報(28行) 返事を書く
野村 2001/08/23 16:46:22
四国巡検報告(長文)その2
そこで砂鉄にまでなったら、砂金を選り分けずにタッパウェアーの容器に
入れるように指示する。(必ずしも指示に従ってなかったが。)ポットホ
ールの上の方の砂にもバケツ1杯当たり1〜2粒の砂金が入っている。
そのうち、兵庫県からイタさんが到着。状況を報告する。昼飯時になった
ので徳島道の吉野川サービスエリアの一部になっている食堂に昼食を取り
に行く。そこで食事をしながら、kitaさんの砂金コレクションを見せても
らう。北海道のものはどれも粒が大きく、その大きさに生徒達は言葉も無
い。午後1時から再びポットホールさらえを開始するが、予想以上にポッ
トホールは深く、とうとう底まで達し無いうちに予定作業時間が終わる。
まだ底まで50cm〜1mはありそうだ。きっと底近くには大きな砂金がある
だろうに、残念である。移動開始。山城町に行く前に、来るときに見えた
美濃田橋の袂の基盤岩に行ってみる。橋の北西側に狭いながらも基盤岩が
出ている。川のカーブの内側である。そこでkitaさんに盤叩きを披露する。
すぐに小粒の砂金が出た。ところがkitaさんは、基盤が下流側に1mほど
落ち込んでいる所に溜まっている砂をカッチャで掘り始め、そこから2mm
の砂金を出した! これには我々も驚いた。場所によっては盤叩きよりも
堆積層を掘る方が良い場合があるようだ。16:15ころ出発、山城町に向か
う。民宿「芳野館」は山城町役場のすぐそばだ。役場に着いたのは17:00
を少し過ぎていたが、前から連絡を取っていた経済観光課の中村氏がちょ
うど役場から出てきたところで会うことができた。役場に戻り、中村氏か
ら紹介してもらった砂金に詳しい2人の老人の家の場所を詳しく教えても
らった。生徒たちは、部長の糸崎君を除いて民宿に入らせ、残りのメンバ
ーで相川谷の老人の所に行くことにした。私とイタさん、kitaさん、生徒
の糸崎君で、kitaさんの車で行った。相川谷の立石老人は90歳。彼の父
親が大正9年頃に砂金を掘っていたと言う。彼の父親は、家のすぐ下の谷
で、人に雇われた作業員として砂金を掘っていたそうである。昭和17年
ころまではこの谷で砂金を掘っていた人が居たとも言う。使った道具はネ
コとカッチャ、揺り鉢である。お嫁さんが、これらの道具はまだあるはず
だ、と言うので、納屋を探してもらったが、残念ながら見つからなかった。
kitaさんは特に南方系の丸い揺り鉢を見たがっていた。この相川谷で採れ
た砂金の大きさは、米粒くらいが出れば万歳であったと言う。大野の方が
大きいのが採れていたとも言っていた。取材を終えて民宿に戻る。この民
宿「芳野館」は、イタさんが今から30年も前に、応用地質調査所のアル
バイトで地滑り調査をしたときに2ヶ月にわたってお世話になっていたと
ころだそうである。当時はもちろん、砂金などという物は全く念頭に無か
ったと言う。生徒と私は1泊2食付き6500円で宿泊。イタさんとkita
さんは、素泊まり4000円か、朝食のみ付き4500円ということで、
後者を選ぶ。入浴、晩餐の後、イタさんの差し入れの巨大な西瓜を食べな
がら、皆で砂金の話に花が咲いた。我々は兵庫県で広く分布する砂金を如
何にして発見するに至ったかを。kitaさんは北海道での経験談を。それは、

  四国巡検報告(長文)その3 野村 2001/08/23 16:48:00  ツリーへ

Re: 四国巡検報告短報(28行) 返事を書く
野村 2001/08/23 16:48:00
四国巡検報告(長文)その3
浜頓別砂金公園でのインストラクター時代から、北海道各地の産地情報、
複雑な人間関係に至るまで、非常に内用が多彩であった。生徒たちが部屋
に帰った後も、大人3人の部屋で遅くまで話し込んだ。突然にクーラーか
ら水がこぼれ出すハプニングがあったが、砂金掘り道具の手動ポンプで配
水管の詰まりを解消して、何とか無事に動くようになった。どうやら蜂が
配水管に巣を作って藁を運び入れて詰まらせたらしい。イタさんの豪快な
鼾を聞きながら就寝。
7月25日(水)
 今日が巡検の最終日。お二人の車で移動できるようになったので、出発
時間は自由が利いた。9時頃出発して大野小学校下の川原に下りる。kita
さんは現場を見て、「ここは在りますね!」との感想を述べられた。ここ
は上流の新宮鉱山から流れてきた鉱滓(スラッグ)が、岸にいっぱい溜ま
っている。生徒たちに「草根引き」や「盤叩き」のやり方を一通り説明し、
さらに私が5月の下見で3mmを出した場所を教える。それは岸に沿った広
いクラックの中で、50cmくらいの巨礫が引っかかっていたその後ろ側
に溜まっていた鉱滓の山の中に混じっていた。
生徒達は夫々、草根引きや盤叩きなどを始めた。クラックの堆積物を掘る
のは砂の量が多く、ロッカー(クレイドル)2台を駆使して砂金を分けた。
イタさんがすぐにクラックから3mmの丸いコロンとした砂金粒を出した。
皆、その大きさに目を丸くして驚いた。
ロッカーはかなり有効だった。ここでは鉱滓が多く、パンニングすると最
後の方は鉱滓だらけになって皿から中々出て行かない。しかしロッカーを
使うとちゃんとリッフルを越えて鉱滓が出て行く。kitaさんが揺り板の使
い方を披露してくれる。すごい! 最終的な砂金の選り分けまでできてし
まう。その後、メガネ掘り(ガラス掘り)もやってもらう。そして見事に
水中のクラックから掘り出した砂金を、水中で見せてもらった。
12時過ぎまで砂金を掘り、車で昼食に出かける。近所には食べるところ
が無く、祖谷口まで行ってうどんを食べた。大野に帰ってみると、山城町
役場の中村氏ともう一人の広報担当者が取材に来ていた。今日採った砂金
を見せ、話をして写真を撮影した。午後3時になったので採集を終え、
JR阿波池田駅へと2人の車で送ってもらう事にした。ところがその途上、
ハプニングが起こった! 阿波川口から祖谷口への途中でイタさんの車の
レーダー探知機が「ピー!」と鳴った。反射的にブレーキを踏んだが、大
きな音の割に時間が短かったので、一瞬、何が起こったのか判らなかった。
「エッ? 俺、ねずみ取りにやられたの??」とイタさんが呟いたが、
行く手から警官が現われイタさんの車を誘導する。パルス状の電波を出す
ステルス式レーダーだった為、旧式のイアタさんの探知機は反応が遅れた
ようだ。21km/時オーバーで罰金15000円であった。予定の列車
に間に合うかどうか心配だったが、何とか10分前には阿波池田駅に到着
した。イタさん、kitaさんに別れを告げて、列車に乗った。帰りの列車ス
ケジュールにミスがあったため、予定より30分送れて20:50頃には
神戸にたどり着いた。青春18切符の格安の旅も終わりを告げた。


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