金山のおこぼれ 野村 2002/03/21 16:38:14
金山のおこぼれ 野村 2002/03/21 16:38:14 ツリーへ
金山のおこぼれ |
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野村 2002/03/21 16:38:14 | |
大森さんも書いておられる、「金山のおこぼれ」の話をします。 先日、小林さんが、金山の下流で砂金を探すのは、金鉱を採掘したことによって川に流出した金を探すのだと 考えておられて、それは誤解ですよとお答えしました。 大抵の場合は何万年、何十万年にわたって風化浸食を受け、川に自然に流出した 金粒が砂金になっている訳です。その砂金の源をたどって行き、石英脈に行き着いて、金山を開発するのが普通です。 でも中には、金山の開発の時にうっかり流出してしまった金も当然あるでしょうが その量は決して多くないと私は考えていました。 ところがそうでもなさそうだと、昨日、本を読んでいて気が付きました。 大阪府立中之島図書館で借りてきた「山ケ野金山のすべて」という本です。 明治10年頃にフランス人を技術顧問として呼んだという話を「山ケ野金山物語」で読んで、 日本の板ネコの登場年代に疑問を持ったことは以前にこの掲示板にも書きました。 このフランス人の事を詳しく知るために「山ケ野金山のすべて」を借りに行きました。 その人の名前は「ポール・オジェ」。フランスの鉱山専門学校から来ています。 鹿児島県の山ケ野金山に来たところ、川を見て最初に言ったことばが、 「金をみんなながしてしまっている!」 だったそうです。 彼は水銀によるアマルガム法を導入させようとしましたが、頭の固い昔ながらのやり方に固執する職人達は なかなか言うことを聞かなかったと在ります。 鹿児島でこれが明治10年です。伊豆や佐渡ではもっと早く水銀が導入されていましたが、 戦国時代に開発された金山では、それ以前のやり方ですから、相当量の金粒が川に流出したのではないでしょうか? なお、水銀アマルガム法でも、金の回収は完全ではありません。 水銀は表面張力が極端に大きいため、金粒が鉱石の表面に完全に顔を出していないとうまく取り込めません。 鉱石の中に水銀が染み込んで行って、金を溶かし出すとはならないのです。そこでできるだけ鉱石を細かく砕いてから泥状にして水銀を加えたそうです。 金山で鉱石の中の金回収が完全にできるようになったのは「シアン」が 用いられるようになってからではないでしょうか? 青酸カリや青酸ソーダの溶液は鉱石の中にまで染み込んで、金を溶かし出しますから。 ということは、明治時代でもまだ回収し損ねた金の流出は在ったと思われます。 自然風化で流出した金と、採掘で流出した金とが区別できたら、非常に面白い研究ができると思うのですが、難しいでしょうねえ。 ポール・オジェについては、もう少し調べてから(フランス側の資料も)書きます。 |