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  記録に残らなかった韓国の700数十gの砂金塊 野村 2002/06/10 09:19:15 

  記録に残らなかった韓国の700数十gの砂金塊 野村 2002/06/10 09:19:15  ツリーへ

記録に残らなかった韓国の700数十gの砂金塊 返事を書く
野村 2002/06/10 09:19:15
土曜日にとんでもない話を聞いてしまいました。
東亜天文学会理事の松本達二郎さん(尼崎在住)からうかがいました。
松本家は戦前、全羅北道井州邑に500町歩の田圃を持つ大地主でした。
昭和の始め頃、農民がアンパン位の大きさの巨大な砂金塊を売りに来ました。当主はポケットマネーで買い取り、その後、桐の箱に入れておいてあったそうです。
戦後没落した松本家では、昭和24年にこの金塊を手放すことになってしまいます。
買い取ったのは中国人で、鑑定の結果は金70%ということで、当時の
12〜13万円で売ったそうです。
その当時、松本達二郎さんは15、6歳だったので、その金塊の形や厚み。売る時に測った重さが700数十gあったことなど、克明に覚えておられます。
で、この金塊はおそらく鋳潰されてしまっただろう、とのことです。
まことに残念な話です。
そんなわけで、農民の手から松本家に渡り、中国人によっておそらく
鋳潰されたこの金塊は、多分どこの記録にも登場しなかったものと思われます。
当時の写真でも残ってないのかお尋ねしましたが、現在では戦前のものは何も無いとの返事でした。家で秘蔵していたのなら、新聞にも出なかったと思われます。
さて、逆に、この金塊の採れた場所を推測して見ましたが、井州邑(セイシュウユウ)は川の流れる農村でした。
数年前に松本達二郎さんが昔を尋ねて訪問して見たら、人口12万人の大都会になっていました。
かつての家の後は学校になっていたそうです。
で、思い出されたのは、どうもその農民は川の上流の貧しい村から歩いて売りに来たのではなかったか、ということでした。
ただし、昭和の始め頃、その時期に川で取れたものか、それとも以前から家に置いていたものを食うに困って手放そうとしたのか(まさに松本家が昭和24年にしたように)、どちらか分かりません。
極端な話、古墳から掘り出したもの、ということだってありえるわけです。しかしながら、おそらく全羅北道井州邑から歩いて行ける範囲にその産地がある可能性は非常に濃厚です。
いかがですか?皆さん。
おそらく日本最大の金塊(769g)に次ぐ大金塊の話。
松本達二郎さんが手で示してくれたその大きさと形、厚みが、しばらくは私の頭から離れそうに無いです。

昨日は生徒と、「化石、コハク、砂金。一石三鳥ツアー」に行ってきました。コハクは非常に小さい物しか採れませんでした。(2mm)
明石川では水銀アマルガムの砂金が採れました。丹生山系から来たものと推測されます。


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