瀬田川のトパーズと砂金の話 野村 2001/09/10 16:36:39 └続き 野村 2001/09/10 16:37:51 └ちなみに・・・ 野村 2001/09/10 16:43:08
瀬田川のトパーズと砂金の話 野村 2001/09/10 16:36:39 ツリーへ
瀬田川のトパーズと砂金の話 |
返事を書く |
野村 2001/09/10 16:36:39 | |
瀬田川ではスゴイ経験をしました。 あれは3年前でしょうか。京都の益富地学会館の展示室に、特別展と 言うことで、個人の方のトパーズの収集が展示してありました。 文字通り「小山のように」盛りつけてある、その数は百を超えていた でしょうか? 説明によると、すべて瀬田川の鹿跳峡のポットホール から出た物とのこと。驚きました。確かにコロナ社の地学ガイド滋賀 県には、鹿跳峡のポットホールには田上山から流れてきたトパーズが はまり込んでいることがある、と書いてあります。それにしてもその 数! 大きさもゴルフボールより大分上回る物がありました。 早速その夏2回、ポットホール浚えに出かけました。暑かった! 2〜3人で1日捜しても1cm以下の物が3〜4個程度しか見つかり ませんでした。この年の冬に、瀬田川の浚渫工事が始まりました。 川を半分に堤防で仕切って、半分の幅を干上げ、底をブルドーザーで 削って深くする工事です。工事の休みの日曜日に私とイタさんで出か けました。そこで出会ったのは「水石(すいせき)捜し」のお爺さん 達でした。彼らは「瀬田川の真黒(まくろ)」と呼んでいたと思いま すが、要するにホルンフェルスの形や模様の良い物を土砂の中から掘 り出していました。その馬力と執念には完全に圧倒されました。しか し毎回10人以上出会った彼らとは、捜す目的が違います。彼らは黒 い石を、我々はトパーズを捜しています。両者は共存できたのです。 干あげた川底を彼らがシャベルで掘り下げます。直径3mくらいを基 盤岩に達するまで、へたしたら2m位掘り下げます。そして出てくる 黒い石を矯めつ眇めつ眺めて、大切に取っておきます。我々は、彼ら が掘り出した花崗岩砂(マサ)を粗いザルに入れて、流れの中で洗い ます。細かい砂や泥が無くなると、1cm以上の小石がザルの中に残 ります。この時、高い屈折率で「キラリ!」と光る物があれば、トパ ーズです! やはり、基盤岩に近い深いところほど、トパーズは多い ように感じました。トパーズは硬いのですが、さすがに表面が摩耗し て形が丸みを帯びている物とか、すりガラス状になった物とかが多い です。しかし内部の条線や、水に濡れたときの輝き具合で、水晶との 区別は一目瞭然です。水石捜しのお爺さん達は、黒い石にしか興味が ありませんから(虎縞模様の石も取ってたかな?)、トパーズは全て 我々の物です。彼らはそれを気にも留めませんでした。ところが! ところがです。お爺さんの一人が、とても巨大なトパーズを掘り出し てしまったのです! あまり大きかったので、お爺さんもすぐに、こ れがトパーズだと気付きました。それは「大きめのミカン」くらい、 「小さめのリンゴ」くらいでした! やや丸みを帯びていても、その 輝き具合、透明度からもトパーズであることは疑う余地がありません。 私は、そのトパーズを譲ってもらえないかとお願いしましたが、どう しても譲ってくれませんでした。それは、基盤岩が特に深くなってい るところ、昔のポットホールのような場所でした。あの巨大トパーズ は、それから何回か私の夢の中に現れ、うなされました。 いよいよ明日は工事終了で堰を切って全てが水没するという日、最後 のチャンスを生徒達と分かち合いたくて、地学研究部で採集に行こう と、部活動の届けを出そうとしたのですが、その日が我が校の入学試 |
└続き 野村 2001/09/10 16:37:51 ツリーへ
Re: 瀬田川のトパーズと砂金の話 |
返事を書く |
野村 2001/09/10 16:37:51 | |
続き 験の発表の日だったため、教頭と衝突しました。私としては、その日 が日曜日であり本来は休みの筈であること。生徒に貴重な体験をさせ られる最後のチャンスであること。私が付いて行かないと、生徒だけ では採集のコツが分からないこと、などを理由に許可を求めましたが 教頭の返事は「ノー!」です。教頭は私に「あんたは貴重な体験がで きる最後のチャンスだ、博物館級の大発見だと言うけど、本当にそん な大発見なんですか? 私は滋賀県の教育委員会に電話してみたけど、 瀬田川でそんな大発見があったなんて知らないと言っていたよ!」と こうです。「教育委員会が知らないのは私のせいではありません。」 「あんたの言うことは信用できない!」・・・・ 結局、校長に直訴して英断を仰ぎ、許可がおりました。当日は氷雨 降る寒い天気でしたが、やる気満々の生徒5名と朝早くから新快速電 車で出かけました。私は砂金掘りの道具で「ハイバンカー」を持って 行きました。3人がスコップで掘り出した土砂をホッパーに投げ入れ、 ガソリンエンジンポンプの水流で砂礫を連続的に洗います。スルース を流れてきた砂礫をザルで受け止めて、適当に溜まったらザルを交代 し、ザルの中を改めます。どうしても飛沫がかかります。寒さに震え ながらも薄暗くなるまで5時間くらい作業をしました。ミカン、リン ゴとは行かなかった物の、最大のトパーズは3.7cmありました。 これは京都から来た佐藤君の物になりました。生徒は全員1cm以上 のトパーズを手に入れ満足です。最後にこんなこともやってみました。 ポンプの水で基盤岩の上を洗い流します。大方の土砂が流れた後を、 注意深く見ると、チョコンと基盤の上に輝くトパーズ(5mm位)が 乗っているのを見つけました。暗くなってきたので片づけ始めました。 この時、私には何か予感がして、ハイバンカーのスルースボックスに 溜まった重鉱物の砂を布バケツに入れて持って帰りました。 翌日この砂をパンニングしたところ、以外にも2mmの砂金が2粒 出てきました! 花崗岩地帯に砂金?! 田上山にはアプライトの岩 脈が入っているから、石英脈も在っておかしくはない。そこから来た のか? 田上山の北麓の「新免」と言うところで砂金が採れたことが あるとの噂も聞いたことがある。花崗岩地帯に砂金は無いと思いこん でいたけれど、それは間違いのようだ。 これが私の目から鱗が落ちた瞬間でした。それ以後、とにかく長い 川で基盤岩が出ているところには、砂金が引っかかっている可能性が あると考えるようになりました。そして私たちの砂金捜しに、新しい 展開が開けたのでした。 もっとも、最初のうちは「草根引き」と「ポットホール浚え」しか知 りませんでしたから、なかなか苦労しました。それでも沢山の川で砂 金を「新発見」しました。要するにそれまで、誰も砂金があるなんて 考えもしなかったし捜しもしなかった川で、捜してみると砂金はちゃ んと在った、と言うことです。そのうち「盤叩き」なる方法に辿り着 いて、砂金を確認した川の数は飛躍的に増えました。そして今日に至 っています。瀬田川は私たちの砂金の出発点でした。 |
└ちなみに・・・ 野村 2001/09/10 16:43:08 ツリーへ
Re: 続き |
返事を書く |
野村 2001/09/10 16:43:08 | |
ちなみに・・・ ちなみに、瀬田川のその場所は、今では深い水の底に沈んでしまいま した。将来、1000年に一度くらいの大渇水にでもなれば底が現れ るかもしれませんが。 この時の経験以来、河川の浚渫工事などをしているのを見かけると、 近寄って見てみることにしています。何があるか分かりませんから。 |